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宇田川浩行(希哲館)✅ @hiro@mn.kitetu.com

さあ,15日のデライト離立(リリース)まで残り5日。頑張ろう。

これを機に,少しボーカロイド曲を漁ってみるか。

だから私は表現手段としてのボーカロイドには懐疑的なのだが,例えば作詞作曲の練習とか,実験,デモ作りとか,そういう予備的な段階では非常に有益な道具だと思う。

自分を隠して自分の願望だけを一方的に表現したい,というのは個人的にはちょっと良い表現者の態度とは思えない。だったら,有名になりたい素人の女の子でも捕まえて歌ってもらった方が面白いんじゃないかと思う。それか,米津さんのように思い切って自分をさらけ出すか。あの人だって人前に出たがるタイプには見えないけど,だからこそ偉いと思う。

でも,男性歌手が自分で作った女性の歌を歌う,というのは堂々としていてまだ良いと思う。仮想の女性歌手に歌わせる,というのはそこからもう一つねじれた行為だと思う。自分を隠しているという点で。

松山千春さんとか,女心を表現した曲を作って歌うのが巧い男性歌手はいるけど,どれだけ巧くても,やっぱり男性というだけで何か「大丈夫かその価値観」「女性団体に怒られそうだな」とか邪念が頭をよぎってしまう。

日本の歌謡曲における「女心」なんて大体おっさんが作ってきたものなんだけど,それでも聴けるのは歌い手が生身の女性だからだと思う。

もう一つ,ボーカロイドで大きな問題なんじゃないか,と考えたのは「他者を介さないプロデュース行為」だ。要は,ボカロ作品って作り手のエゴみたいなものが直接的に見えやすい。同じおっさんが考えた「女心」でも,生身の女の子が解釈して自分なりに演じるのと,思い通りになる人形が演じるのとでは全く違ってくる。幸い,技術的にまだボカロも不自由なところがあるから相殺されているような気はするけど。

……というようなことを考えていたな。

ただ,レゴでリアルな表現をすることに楽しみを見出す人がいるように,ボーカロイドでどこまで出来るのか,ということをボーカロイド愛好者の中で楽しむのはもちろんあっていいと思う。その外に目を向けた時にどうか,という話であって。

なぜ人が歌うのかといえば,まだ人の声でしか表現出来ないものがあるからだ。ボーカロイドがボーカロイドでしか出来ない表現に使われるのではなく,「声に聞こえる楽器」でしかないなら人の声には勝てない。そして残念ながら,ボーカロイドに興味がない多くの人はボーカロイドでしか出来ない表現に興味がない。カラオケで歌えないし。これは本質的な課題だと思っている。

ボーカロイドについては昔,ちょっと課題についてまとめようとしたことがあったのだが,書いたものが見つからない。確か,「機械的な声」に対する慣れ(世代差)の問題とか,表現者にとってボカロが足枷になってしまう可能性とか論じようとしていたと思うのだが,米津さんはそのあたりへの解答を持ってきたな,という感じがする。

全体的な印象としては,思ったりボーカロイドっぽかった。ボカロ世代には聴きやすいのかもしれない。実は,「ボカロでも良い曲はあるがボカロだから良いという曲はあまり無いのでボカロは衰退するのでは」と思っていたのだが,ある意味米津さんはそこから脱出してきた人なのか。

玉置浩二さんに似ている,という人までいたのだが,毎日のように玉置さんの声を聴いている者からすると,良い意味でちょっと軽い。あの作風に玉置さんの声は合わないだろうし。ただ,新鮮ではあるのでもうちょっと時間がある時に色々漁ってみたい。

米津玄師さんの曲を初めていくつかしっかり聴いてみた。才気走っているのは分かるし,いまこういう曲がウケるんだろうな,というのも理解出来るが,個人的に琴線に触れたり衝撃を受けるような曲は今のところ見つかっていない。正直,事前に大絶賛されているのを見たせいでハードルが上がり過ぎたのは否めない。さりげなく,意外と良いじゃん,という感じで聴くべきスタイルだった。

というわけで,希哲館訳語や交度英語を収録した総合辞典サイト『希哲辞典』(dict.kitetu.com)は,希哲館の言語戦略にとって極めて重要な役割を果すだろう。

私は最近,馬鹿の一つ覚えのようにデライト,デライトと言っているが,その周辺にはこういうネタが幅広く山ほどある。だからこそ,そこで頭一つ抜けたデライトが焦点を定める上で重要だったわけだ。デライトの成功を皮切りにこれらが雪崩れ込み,世界を一変させるだろう。

私が IT で世界の頂点を取るとか,新国際秩序を樹立するとか言っているのを見れば,多くの人がただの放言・妄言だと思うだろう。これが満更でもない話だから私は当惑しているのだが……。

希哲館訳語にしても交度英語にしても,特に日本語話者にとって大きな問題だった英語支配の問題を大きく改善する。はっきり言おう。この二つなくして日本人が IT で英語圏に勝つことは不可能だ。しかしこれがあれば世界の頂点すら見える。

希哲館では,この交度英語を,論組(プログラミング)言語を始めとするあらゆる種類の勘報(コンピューター)言語,応司(OS)の台録(ディレクトリ)構造や駒手(コマンド),API などの設計に応用して語彙の簡略性と統一性を同時に高めることに成功している。